八丈島唯一のローカル紙休刊 「南海タイムス」惜しまれ90年
毎日新聞
東京都心の南方約300キロに浮かぶ離島、八丈島(東京都八丈町)で
約90年間続いたローカル紙「南海タイムス」が6月、3752号を最後に休刊した。
島の話題を長年、記録し続けてきたが、事業の縮小によって収入が減る中、
新型コロナウイルスで島内経済に大きな影響が出ており、発行継続を断念した。
歴史ある新聞の休刊に島民からは惜しむ声が上がっている。
南海タイムスはタブロイド判4ページで、発行部数は約2000部。
月2回発行し、郵送で届けていた。
1931(昭和6)年に東京日日新聞(現毎日新聞)の通信員も務めた作家、小栗又一が
月刊紙として創刊し、終戦前後などの一部をのぞき発行を続けてきた。
ここ35年間は主に社長の苅田義之さん(59)と妻の菊池まりさん(67)の2人で
取材から執筆、編集まで担当。
紙面では町政や経済だけでなく、行事や島民の紹介、季節の話題など幅広く取り上げてきた。
歴史の掘り起こしにも力を入れた。菊池さんは2004年、島内の旧家で見つけた古文書を読み、
島史の基礎的な文献とされる19世紀の地方誌「八丈実記」との違いに気づいた。
文献調査や専門家への取材などを続けるうち、歴史が書き換えられた可能性が判明。
新たな資料が出てくるたびに紙面で報じ、郷土史の再検証の必要性を指摘してきた。
「町政の監視」というジャーナリズムの役割も貫いた。
2年に島の山中に建設された一般廃棄物管理型最終処分場を巡っては、
環境破壊につながるとしてキャンペーン報道を展開。大きな住民運動につながった。
23歳から記者を続ける菊池さんは
「小さな島なのでなれ合いになりやすいが、町とはつかず離れずの関係を保つように気をつけてきた」と振り返る。
島唯一のローカル紙の休刊に、
ツイッターでは島出身者などから「寂しい」「残念」などと惜しむ声が相次いで投稿された。
八丈島で特産のくさやを扱う長田商店の長田隆弘さん(57)は電話取材に
「初めてのアルバイトが南海タイムスの配達だったという人も多い。
生活に密着した視点で、島のいいことも悪いことも記事にしてくれた。
いつかぜひまた復刊してほしい」と話した。【金子淳】
※時間がたつとリンク切れになってしまうので、全文引用させていただきました。
配信 yahoo!ニュースより
私がタイムスを初めて読んだのは、20代後半。
大学卒業後、某ベンチャー企業でほぼ休みなく朝から晩まで働いていましたが、
そんな生活に限界を感じ、
夫の故郷にUターンしようかと、夫婦で考え始めた頃でした。
島の情報が欲しくて、定期購読を開始しました。
目のまわるような忙しい日々の中、
週に一度届く新聞を読んで、島での暮らしに思いを馳せていました。
2000年、娘を授かったのを機に、八丈へ。
引っ越したのは7月だったけど、出産のためすぐに里帰り。
その年の11月に戻ってきて、そこから私の島暮らしが始まりました。
夫にとっては生まれ育った土地だけど、
私にとってはまったく未知の場所。
北埼玉の、中途半端な田舎で育った私にとって、
島の暮らしはびっくりすることだらけ。
それが面白くて、このブログを書き始めました。
タイムスの社長と初めて会ったのは、
島の子育てサークル「ひよこクラブ」の取材を受けた時でした。
「ひよこクラブ」は毎年役員が変わるので、
その年、たまたま私が会長だったので、対応したのでした。
その時はまさか、後年、
自分がタイムスで働くことになるとは思ってもいませんでした。
忘れもしない2011年3月。
東日本大震災があった年。
社長から、タイムスで働かないかとお声がけをいただきました。
どうやらこのブログを見てくださっていて、
また、イベント等にもよく出かけていたので、
記者の仕事に適任だと思ってくださったようでした。
もともと文章を書くことは好きだったし、
記者の仕事には興味があったのですが、
その時私は、別の仕事をしており、一度お断りました。
ところが、その1週間後。
その仕事が3月末で終了となってしまったのです。
慌ててタイムスにかけこんで言いました。
「先週お断りしたお話、まだ間に合うなら、ぜひ受けさせてください。
なんでもやります!」
そして、南海タイムス特約記者としての仕事がスタートしました。
(このことは、当時、このブログにも書きました→「新しい仕事」の報告)
タイミングが違っていたら、
私は今でも一読者のままだったのだろうなと思うと、
縁を感じます。
あれから約10年。
特約記者として、島内イベントや講演会、
時々の島の話題、インタビューなどなど、
いろいろな記事を書かせていただきました。
文章を書くのは好きだったけれど、
このブログのように「好きなことを好きなように書く」のと、
「取材した内容を短くコンパクトにわかりやすくまとめる」のは
全然違いました。
とくに講演会などは、まとめるまでに時間がかかり、
書くのが遅く、短くするのも苦手で、
結局最後まで、要領よくできませんでした。
タイムスの特約記者の仕事はカメラマンもかねています。
一眼レフカメラを持っていろいろなところに出没し
写真を撮っていたので、
「カメラが得意」みたいに思われたりもしましたが、
こちらも最後まで慣れませんでした。
こんなダメダメな記者でしたが、
タイムスでの日々は
本当に充実していて、楽しかったです。
取材、執筆のほか、
重要だったのが、校正の仕事。
昔は社内で印刷もしていたため、今とは違う体制だったようですが、
私が入ったころのタイムスは、
事務系の仕事の人も含め、
複数人で校正作業を行っていました。
文字や表記上の誤りを見つけるのはもちろん、
資料と照らし合わせて、誤りがないかどうかを
チェックしていきます。
そうやってみんなで集まって
紙面を作っていく、
その空間と時間が、私はとても好きでした。
もうあの作業をすることがないんだと思うと
とても寂しい気持ちになります。
タイムスでの10年間は
私にとって、かけがえのないものでした。
この仕事をするようになって、
今まで全く知らなかった、興味のなかったことにも関心を持つようになり、
世界が広がりました。
何よりも、タイムスで仕事をしていなかったら会わなかったであろう、
たくさんの人たちにお会いしてお話を聞く機会を得られたことが、
私にとって、とても大きかったです。
縁あって、タイムス最後の10年間に関われたこと、
本当に幸せでした。
私に声をかけてくれ、長年雇ってくれた社長夫妻には
心から感謝しています。
最後に
毎週タイムスを楽しみにしてくださっていた購読者のみなさま、
広告主の皆様、
そして、取材に協力いただいたたくさんの皆様、
今まで本当にありがとうございました。
※南海タイムスは休刊となりましたが、印刷部門は継続となります。
ホームページはこちら(CLICK!)
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最近、Instagramを始めました。⇒CLICK!
このブログとも連携してみましたので、
そのうち、こちらにも、写真が投稿されるようになるかも・・・
今後とも、よろしくお願いいたします!
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テーマは「島ぐらし町ぐらし」
3年間、家族で東京都八丈島で生活する経験を得て、昨年本土に戻ってきました。これまで、身の回りの見慣れているけれども人々が忘れかけている物や風景を
木版コラグラフや銅版画で表現してきました。島での生活を通して、東京都だけど、東京からは300キロ離れた八丈島の、
本土にはない景色や植物、生活環境を自身の切り口でとらえ、
従来の木版コラグラフ、銅版画の他にアクリル画でも表現してみました。都内の小学校から八丈島の小学校に転校した長女、
その逆を経験した長男の身の回りを見つめたことも作品作りに大きな影響を与えました。東京と八丈島の日常的な身の回りを表現した作品の数々をご高覧いただき、
何かを感じていただけましたら幸いです。
花村泰江
(有)福福堂 Gallery Uehara サイトより
泰江さんの作品は、日常的なものを題材にしていながら、
非日常的で、とても魅力的です。
泰江さんの描く八丈を、
ぜひたくさんの方にみていただきたいなあと思います。
お時間あるかたはぜひ。
ポットホールとは・・・
「おう穴」または「かめ穴」ともいう。
河底や河岸にできる円形の深い穴。
河床の岩石に割目や節理があると、
河流による浸食でくぼみができます。
このくぼみに小石などが入り込むと、
渦流のため小石がくぼみの中を転がって
円形の穴に拡大します。
大の川上流のようにポットホールが
数百メートルも続いている地形は大変珍しいです。
八丈町HP 観光スポットマップより
ポットホールへは
末吉側からと、登龍側からと
どちらからもすぐ近くまで
車で行けるようなんですが、
私たちが行った日は、
末吉側からの道路の途中が工事中で
車では行けないようになっていました。
で、どうしたかというと・・・
「ここから30分くらいって何かに書いてあったから
歩いてみよう」
と車を下りて、みんなで歩き始めました。
最初は砂利道。
「え〜っ、これほんとに車通れるの?」って感じでしたが、
すっごく雰囲気のいい道でした。
愛犬あずきも一緒にてくてく。
のどかわいちゃった。ゴクゴク。
この砂利道がず〜っと続くのかと思いきや、
いきなり整備された道になった。
黒いガードレールなんてはじめて見た。
景観に配慮してこの色なんだそうです。
歩きやすくはなかったけど、
砂利道の方が雰囲気良かったな〜
なんて思いつつ、歩き続けます。
道端にはいろんな植物が
巨大なアザミとか・・・(アザミですよね・・・?)
あびの実もあちこちに
(でもまだ食べられなさそうだな〜)
山の緑がきれいでした
鳥もたくさん、鳴いてました。
それにしても、歩いても歩いても歩いても
歩いても歩いても歩いても歩いても
ポットホールらしきものは現れず・・・
30分でつくんじゃなかったけ???
お!それっぽい感じの川が・・もうすぐかな?
いやいや、ここからまだまだまだだでした。
こういう、ポットホールっぽいところが
何度も何度も現れて
まるで、同じところをぐるぐるまわってるみたいで
子どもたちいわく
「うわお〜無限ループだ。いつだっても抜けられない〜」
で、1時間くらい歩いたでしょうか。
やっとついた〜 ポットホールだ!!!
登龍峠方面からなら、ラクラク車で来れたようで、
観光客の方もちらほら。
バイクで来たらしいお兄さんが
さわやかに「こんにちは〜」とあいさつしてくれ、
私も「こんにちは〜」とにこやかに返しましたが、
子どもたちは元気に挨拶する気力もないほど
疲れ切っていました。。。
そしてここで気づいた。
「30分くらい」っていうのは、
登龍から歩いた場合の時間だったよう。
とほほほ。
一番元気だったのはあずきでした。
ちっとも疲れてなさそう。
ポットホール散策路の途中で腹ごしらえ。
いやまさか、こんな遅い時間にお昼になるとは・・。
あずきもおやつをカミカミ。
帰りは下りだったので、
行きほど長くは感じませんでした。
途中、これからポットホールにむかうと思われる
4人組の若者たちに遭遇。
その時すでに4時をまわっていたので、
今からポットホールまで行って
はたして明るいうちに戻ってこれるのだろうか?
とちょっと心配になってしまった。
でも、虫取り網みたいなのを持ってたから、
もしかしたらポットホールが目的地では
なかったのかも???
この日、私たちが会った観光客は
この4人組と、バイクのお兄さんと、
車で来たご夫婦らしき人たちと
計3組だけでした。
GWにこんなにすいてる山なんて
めったにないのでは?
ゆっくり山歩きしたい方、
八丈はおすすめですよ〜
あ、でも、八丈全体がすいてるわけではないです。
GW期間はあちこちで
観光の方をたくさんみかけました。
いつもはガラガラの路線バスも満員だったし・・
それでも本土の観光地よりはゆったりです。
ぜひみなさん、来年のGWは八丈へ!
絵画を考える-その3
描くモノ
what are you drawing?
秋本将人、鬼頭明稚、日下芝、小林つばさ
鈴木敦子、花村泰江、松本晶大、渡邉光
2012年10月3日(Wed)−10月20日(Sat)
12:00−19:00(日曜・祝日・最終日は18:00まで)
※月・火曜休廊
- オープニングレセプション|10月3日(水)18:00−20:00
- アーティストトーク|10月6日(土)14:00−16:00
※参加費(1ドリンク付き)500円
会場:工房 親
〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿2-21-3
- 東京メトロ日比谷線「広尾駅」2番出口徒歩6分
詳細はこちら↓
描くモノwhat are you drawing?(CLICK!)
八丈三原隊とは?・・・
太平洋戦争中に編成された
情報通信(レーダー)部隊で
中之郷地域に本部が置かれていた。
空襲などに行く米軍の飛行機をレーダーで捕捉し、
東部軍管区に情報を出していた部隊である。